根尾川の悲劇
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十数年前から、根尾川の鮎にとって不幸が連続した。生活排水による水質悪化、冷水病
被害、川鵜の食害である。
生活水準の向上に伴う、トイレの水洗化の必需品、新設単独浄化槽(トイレの汚水だけ
の処理槽)の設置。大量の洗剤の消費。残飯の垂れ流し。いわゆる生活排水が川の水質を
大きく悪化させた。根尾川に直接流れ込む小川にも、白い糸状菌が張り付き、悪臭もして
いた。
水質汚濁はBОD(生物化学的酸素要求量)のみならず、洗剤からはリン、浄化槽から
は窒素が排出され、これらがプランクトンの異常発生を促す。伊勢湾などの閉鎖水域での
赤潮の異常発生は、これに起因する事が多い。生後四ヶ月ほどを伊勢湾で育つ稚鮎にとっ
ては大打撃だ。
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一九九八年四月一日、全国に先駆け岐阜県は、単独浄化槽新設禁止を、「岐阜県浄化槽
の設置に関する指導要綱」で発令した。これにより各個の新設個別浄化槽は、生活排水な
どをすべて処理する「小型合併浄化槽」に変り、環境保全に大きく貢献した。
その後、根尾川にとって、もっと喜ぶべきことがある。本巣市樽見地区が「特定環境保
全公共下水道」、平野高尾地区が「農業集落排水事業」による下水道整備を進めたのだ。
市町村直営の下水道は、極めて処理能力が高く、しかも水質が安定している。また、BО
D(生物化学的酸素要求量)の除去を始め脱リン、脱窒の能力も優れていて、処理水の川
や海への悪影響もほとんどない。その他、松田や能郷などの遠隔地などは小型合併処理槽
で対処するため、生活排水対策はほぼ完璧になったといえる。
河川には流れ込む幾多の有機物を酸化分解する、「自浄作用」が働いている。少々の水
の汚れはこの自浄作用により浄化されてしまう。下水道プラス小型合併浄化槽なら、この
自浄作用の限界内だ。
同時に対岸の揖斐川町谷汲地区でも、各地内で農業集落排水事業による下水道化が進み、
生活排水による環境破壊は、これまた大きく改善されていった。
下水道には、基本的に構造が一緒でも、呼び名がいろいろある。都市などに多い、市町
村などが設置管理する「公共下水道」。同じ公共下水道でも複数の市町村が絡むと、呼び
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名を「流域下水道」と変える。広範囲の市町村の一部が密集していて、下流域の水環境に
特に悪影響を与えそうな特定地域には、今回樽見地区に採用された、「特定環境保全公共
下水道」。農村部には「農業集落排水事業」による下水道化が進んでいる。農業集落排水
事業は農林水産省、そのほかの下水道は国土交通省の管轄で計画される。つまり補助金の
出所が違う訳だ。
いずれにしても、鮎にとって下水道や合併浄化槽は大変ありがたい存在であるのだ。水
質のバロメーターの、「あじめどじょう」が、以前は西谷と東谷の合流点より上流でない
とほとんど見られなかったのが、なんと二五キロメートル下流の303堰堤でも多く見ら
れるようになった。いかに水質が向上しているかを、あじめどじょうが証明している。
五月下旬のある日、カリモク堰堤下流で夜川網の準備をしていた時、まだ放流間もない
子鮎が水面を浮いて流れている。弱っているが生きている。一、二分に一匹の割で腹を上
や横にして流れている。
「冷水病」
初めて聞く名詞だ。二、三日たつと流れる鮎が常時目に付くくらい多くなり、澱みには
白く沈んでいる。このままでは全滅だ。
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漁協も初めての経験に打つ手がない。
日本では一九八七年に徳島県の養魚場において、琵琶湖産稚鮎から初めて冷水病原因菌
が発見され、瞬く間に全国の河川の鮎に感染していった。アユ冷水病対策研究会の調査に
よれば、河川では五〜六月に七〇%以上が発症している。水温が低めの時に発症が多いた
め、冷水病と呼ばれている。特に琵琶湖産種苗による感染が多く報告されているが、天然
遡上だけの河川でも、冷水病の報告はある。以前、姉川で異常なほどの鮎が流れているの
を見たが、いくら保菌鮎でも湖内での発症はないというから不思議だ。
根尾川で確認される冷水病鮎は、下顎や鰓の周りに綿状のクサケが付くタイプと、背鰭
より後部に皮膚をえぐられて筋肉が露出し潰瘍状になったタイプを確認している。特に水
温が一五℃前後の発症率が高く、三℃、二五℃で発症発育する菌もある。これといった特
効薬がないため、菌を持たない無菌鮎などの放流に心掛けて、冷水病対策を行う漁協も多
く見られる。とはいえ、専門家の絶え間ない研究が進んでいるので。冷水病の恐怖から脱
却できるのも、それほど先のことではないような気がする。
冷水病騒ぎも、あの手この手でなんとか乗り切れるかと、思った矢先。今度は黒い悪
魔?「川鵜」の襲来だ。鮎の放流の情報を入手しているかのように、放流場所に一週間以
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内にやってくる。
川鵜の群れの大きさは一〇〇〜二〇〇羽。朝五時頃、下流の方からやってくる。一回に
放流された二〇〇キログラムの鮎なら三日で食べ尽くす。今まで、養殖池で防鳥ネットに
守られ、餌を十分与えられ、天敵を知らない鮎を獲ることは、川鵜にとっては容易い。し
かも放流時期はまだ、水温が低いため鮎の動きが極めて遅く、川鵜にはより好都合なのだ。
川鵜の群れは下流から順番に放流鮎を食い尽くし、最後は根尾川の源流まで食い荒らして
いく。川自体を道標にしているようで、突然、山から現れるようなことはあまり見ない。
数年前に突然訪れた時には対応が間に合わず、おまけに野鳥保護団体の反発が、有害鳥
駆除に大きく立ちはだかった。当初の二、三年は放流量の七,八割は、いやもっと多くの
鮎が、川鵜の餌食になっていると俺は見ている。同時にウグイやハエそのほかの魚もめっ
きり少なくなっていった。
俺は鮎漁のライバルは漁師だけだと、いつも思っていた。まさか冷水病や川鵜などとい
った伏兵がいるなど、夢にも思った事などなかった。
漁協も次々と襲い掛かる難敵に、無策でいた訳ではない。
根尾川筋漁業協同組合組合長、戸部一秋。長年岐阜県議会議員を務める戸部は県条例、
国土交通省の河川法、野鳥保護団体の説得と理解、漁協役員の協力などの難題にひとつひ
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とつ、時に迅速に、時に丁寧に粉骨惜しまず働き、奔走した。
就任前年、中部電力大須ダムのヘドロ問題が深刻化。当時の大野龍組合長が困り果てて、
「戸部さん、県議会議員として多忙でしょうが、名前だけでいいから組合長をお願いでき
ませんか」と泣きついた。「名前だけの組合長」といっても、「やるからにはとことんや
るのが俺の流儀」とばかりに、稚魚放流、真夜中の密漁者の監視、川鵜の追い払いにまで
奔走した。一方、県議会では川鵜の被害を一般質問し、翌年「川鵜のシンポジウム」も開
催に漕ぎ付けた。
俺は長年、何人もの組合長を見てきているが、これほど川に溶け込んだ組合長を見たの
は初めてだった。また、政治家としても自分の利益や票に繋がらないことには舌も出さな
い輩が多い中、スズメの涙ほどの役員手当てでこれほどまでに真剣に根尾川を思いやれる
なんて不自然なくらいだった。
根尾川筋漁業協同組合事務局長、名知里美。一九九五年八月、漁協事務員として椅子に
座ったが、後に行動力を買われ、岐阜県下唯ひとりの女性事務局長に就任した。膨大な職
務を一から勉強し、老眼鏡と参考書片手に独学で漁協のホームページまで作ってしまった。
しかし、戸部と名知の川鵜との壮絶な戦いは、丁度この頃から始まったのだった。
根尾川筋漁協は、インターネットのホームページを開設し、伝言板も設けた。時恰も
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川鵜被害の真っ只中、根尾川の鮎が最も少ない年だった。伝言板への書き込みは当然だ
れでも見ることができるのだが、そのほとんどが漁協の誹謗中傷で、中には「漁協の役員
が組合の金を、飲んだり食ったりで使ってしまうから、放流する鮎が買えないんだろう」な
どというものまであった。しかし、以前の根尾川の鮎の数を知っていて、尚且つ六月の中旬
の解禁に初めて根尾川を訪れる遠方の遊漁者にとって、「川鵜に食われてしまった」などと
の弁解は、当時では信じられないことだったのかも知れない。
事務局長の名知も戦った。早朝、真夜中、土日を問わず戦っていた。名知にとって漁協
の仕事は収入の場であるには違いない。しかし組合員や遊漁者の矢面に立たされ、批判の
矢をいつも全面に受ける激務など、辞めたいだけだった。漁協の電話は言いたい放題の苦
情ばかり。胃炎や頭痛もこの頃から、慢性化していった。それでも頑張ったのは、戸部の
熱意に負けたからだ。
彼らの熱意が役員の意欲を掻きたて、一般の組合員をも動かした。冷水病や川鵜などの
難敵などなにもなく、順調に漁協運営がなされている時には、却って役員や組合員の連帯
性がない。どちらでも良いような小さなことで、言い争ったりして派閥さえできてしまう。
しかし、漁協の存亡すら脅かす難敵を前にして喧嘩などしている場合ではない。漁協の
一大事に真剣に立ち向かおうとしている役員や組合員の連帯感を名知も肌で感じていた。
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今ここで、漁協全員が一枚岩にならないと、この難敵には勝てないのだ。
四月中旬、放流事業が始まると、俄かに忙しくなる。
早朝四時半、川鵜撃退チームが揖斐川合流点1キロ上流の温井堰堤で、下流から来襲す
る川鵜の群れを待ち受けて、散弾銃で撃退する。迎撃ミサイルパトリオットさながらだ。川鵜
の群れはほとんど落ちない。しかし根尾川を諦め、揖斐川か東の長良川に向きを変える。
五キロメートル上流のカリモク堰堤にも、爆竹を片手に漁協役員が待機している。ベル
コンにも、漁協前にも、どこにでも撃退チームがいる。
戸部もいる。
名知もいる。
一五〇体の案山子も川のあちこちに立って監視している。
最初に根尾川川鵜が来たのは数年前だ。石を投げたり、爆竹で脅したりすると、一旦
は逃げてもすぐに帰ってくる。そのうち、人のすぐそばでも平気で鮎を食いだす。完全に
舐めているのだ。
有害鳥駆除は手続きに日数が掛かり、その間に鮎はどんどん食われてしまう。有害鳥駆
除には俊敏性がなにより重要になってくる。駆除には散弾銃を使用するが、ほとんどが駆
除というより、威嚇的なものだ。営巣には何万羽の川鵜がいるが、そのほとんどを駆除す
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ることは、自衛隊でも出動しない限り到底不可能だ。
根尾川筋漁協は幸いなことに、組合役員の中に優秀なハンターが何人もいて助かってい
る。ほかの漁協では専門にハンターを雇って駆除を行っているところもあるが、なかなか
成果が見られない。一日うろうろしていれば日当が貰える雇われハンターと、「絶対川鵜
を追い払うんだ」との意気込みの漁協の役員ハンターでは、意識の差が歴然としている。
事実根尾川の役員ハンターは、自分のことのように、寝る間も惜しんで早朝暗いうちから
駆けづり回っている。
あの図々しい川鵜も散弾銃には勝てない。今では、ハンターの車を見ただけで逃げ出す。
爆竹の効果も出てきた。散弾銃の効果に相まって、以前はちょっと逃げるだけだったのが、
遥か彼方の見えないところへ消えてゆく。散弾銃の怖さを知ってか、人気のあるところに
はすっかり来なくなった。それどころか案山子まで特効薬になってしまった。「相乗効果」、
ぴったりの言葉だ。
組合役員が無報酬で案山子を作り、放流前に立てて回った。
「こんなもん、効き目あるんかね?」
そんな言葉ばかり聞きながら―。
立ててる本人らも、まったく半信半疑だった。でも「やってみないと分からない」と、
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小さな期待だけの大変な作業だった。これが予想もしない効果を上げた。
川鵜はほかの水鳥と違って、身体の比重が大きい。鴎やアヒルは、水の上では身体のほ
とんどが水面の上に出ている。川鵜は水中深く潜って魚を獲る関係上、重くできていて、
水面ではネッシーのように首だけしか出ていない。この比重の大きさによって、着水や離
水(飛び立ち)の時に、かなりの滑走路的水面を必要とする。ほかの鳥のように高いとこ
ろから「ふわぁ」と降りることも出来ないのだ。ジェット機とプロペラ機の違いのように
川鵜は低速では飛べないのだ。そのため、「案山子と人間の区別がつかないんだ」と俺は
結論付けた。
もはや今では、川鵜にとって根尾川には安全な餌場はない。川鵜は非常に勉強能力が高
く、「根尾川へ向かっても無駄だ」と知ると、もう来なくなる。こうなればこちらの勝ち
はすでに決まりだ。
今年は数年ぶりに鮎が根尾川に帰ってきた。どの瀬肩を見ても、ぎらぎらと石を喰む鮎
が見える。夕方、びょんびょん飛び跳ねる鮎が見える。こんな多くの鮎を見るのは久しぶ
りだ。
いつも遊漁者に責められ、泣いてばかりいた名知の笑顔を、久しぶりに見たような気がし
た。
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戸部、名知を始め、組合役員が一丸となった川鵜との勝利を大きく評価され、岐阜県内
の優良河川の漁協を差し置き、根尾川は「岐阜県のモデル河川」となった。
その後、戸部に関しては岐阜県漁業協同組合連合会会長、全国内水面漁業協同組合監事、
全国内水面漁業協同組合川鵜対策委員長などの重職も歴任することとなった。今では、ほ
かの漁協からも注目の漁協になってしまったのだ。
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